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24 December 2010 @ 03:13 am
an addendum of Tom Felton@Fujieda(in Japanese) [藤枝イベントレポ追記]  
Now here's an extra addendum of Dec.3 DH1 screening with Tom Felton@Fujieda(sorry, in Japanese only)





…なんてことは別にありませんでした。
(すいません、当日司会の石上亮さんが「ジョジョ」好きと知ってつい…)

いやいや、ホント楽しかったです。自分としては、どうしても昨年のトムさん初来日の際と比べずにはいられないのですが、あの時はすごい強行スケジュール(確か午前に東京、午後に名古屋で舞台挨拶してその日のうちに大阪に移動だったような)で、トムさんも移動の際は疲れていた様子だったと聞いて心が痛んだものでした。その点、今回の来日はスケジュールに余裕もあり、また藤枝での舞台挨拶はちょうど休養日明けということもあって、本人の言葉通り「元気いっぱい」な姿が見られたのはうれしかったです。

で、舞台挨拶の内容はこないだの日記(英語オンリーですゴメンナサイ)で大体書き尽くしたので、自分が感じた印象などをこっちに書きます。

藤枝イベントでよかった点を挙げると、まずとにかく会場が素晴らしかった。ちょっと説明すると、舞台挨拶会場である藤枝シネ・プレーゴさんを収容するBivi藤枝というのが、1・2階はショッピングセンターで3階に市立図書館と多目的会議場、4階がシネコンという構造で、各階には立体駐車場が隣接していると。そんなわけでシネコン入口でイベント客が長い列になっても隣接駐車場に流せるし、サイン&写真撮影会場である会議場はほんの1階下の移動でフロアも閑静、そしてなによりこうした移動の間、1・2階の一般買い物客とまったく顔を合わせずに済むので無駄な混雑が避けられるという。自分にとって、これほどの参加人数でこれほどストレスの少なかったイベントは初めてです。断言。

それから、観客の皆さんが本当に気持ちよかった。前述の通り、待機列等の移動がスムーズだったせいもあって、とにかく皆さん慌てず騒がず。写真撮影時の直接対面ではテンパってた方ももちろん何人か見かけましたが(笑)、全体としては落ち着いてゲストのトムさんをあたたかく迎えよう、という感じがうれしかったです。プレミアポートさんのレポートでは、舞台挨拶なのに静かすぎるのでは、と心配されてましたが、自分はこの会場に集まった人たちが整理券配布日とこのイベント当日、早朝から長い列に根気強く並んでいた姿を目にしているので、一見静かな観客の内に秘められた熱意については心配してなかったです。舞台挨拶中は私語もなく、観客はみんな舞台に集中してるのが分かったし、気持ちのいい静けさだったと思います。(というか、自分は舞台挨拶の演出についてはよく知らないのですが、インタビュー時は絶対!BGM無しで!お願いしたいです。自前で記録が許されない観客の立場としては、ホント目と耳に集中してるんで。聞き取りに命かけてるんで。ここは強調しておきたい)

それと、(これはバラしていいのかな?と心配しつつバラしちゃうけど)事前の告知と違って、サイン&写真撮影会で順番待ちをしている間、自前のカメラで自由に撮影が許されたこと、これは本当にうれしかったです。YouTubeで外国でのイベント動画を見るにつけ、ファンが会場で写真やビデオ撮りまくりな状態を目にしては、くやしい思いをさせられてきたので…。映画館内では撮影禁止は仕方ないけど、それ以外の会場なら、日本であればファンに囲まれても身の危険を感じることはないだろうから(や、これ冗談でなくマジで。海外のファンは熱狂的すぎてほんと怖いので)せめて写真撮影くらいは許してほしいよなぁ…、と常々思っていたので、主催のハリコレさんの心の広さに感謝感激です。そして先にも書きましたが、写真撮影解禁の状態でもサイン会が混乱せずにスムーズに進行したことには感嘆したものでした。日本のファンって素晴らしい!


で、まあそんな中で、将来のためにあえて「ここはこうだったらよかったな~」という点を挙げると…

劇場挨拶会場である藤枝シネ・プレーゴさんのイベント告知がぶっちゃけショボかった。告知が小さめの看板だけ、というのは正直さびしかったです。まあ、これは千葉(市原)会場だったシネマックスちはら台さんがグッジョブすぎたからかもしれませんが(どうよこの気合いの入ったPOP!)ここはやはり熱い地元の映画館として藤枝シネ・プレーゴさんも気合い入れた宣伝資材用意してほしかったです。せめてこの日くらいはハルクどかすとかさ。

次に、前述の通り自分は舞台挨拶中の静けさは気になりませんでしたが、舞台挨拶が始まる前、トムさんの到着が遅れるというのでしばらく待つことになった時間に、できれば司会の石上亮さんに到着まで場をつないでほしかった。これも前述の通り、観客の多くはトムの熱心なファンだったと思うけれど、中にはハリポタは好きだがトムさんはよく知らない、あるいは当日たまたま整理券が手に入ってという人もいたと思うし、それはまったく構わないわけで、そういう人達のためにもあらためて、トムさんの経歴やハリポタ映画シリーズでのドラコ・マルフォイの役割とか今回の来日ツアーの様子とか、本人の到着を待つ間に説明しておいてもらえれば、より観客の理解が深まったと思います。

あと、これはイベント後にぱらぽんさんのブログで知ったのですが、トムさんに藤枝市の観光協会と商業観光課のお出迎えがあったんですね。ギャーこれ見たかった!というか舞台でやってほしかった!というかこれ、地元の人にはピンと来ないのかもしれませんが自分は「藤枝やるうぅぅ!」と思いましたよ。なにしろ、トムさんに限らず他の来日アーティストも静岡県内の地方都市には滅多に訪れないしプライベートでもおそらく訪問する機会は少ない、そんな中で、地元が単にイベント会場を提供するだけでなく公に来訪を歓迎しているんだというメッセージを発信することは、将来的に(特にプロモーターが比較的柔軟に開催都市を選択できる場合に)非常に大きな強みになると思います。うちの地元も見習ってほしいものだと思いました。


まあそんなわけで、全体的にとても素晴らしいイベントでした。今後もトムさん来日の機会があるのなら、ぜひまたハリコレさん主催でお願いしたいし、できればまた藤枝でやっていただきたい。単に劇場舞台挨拶だけでなく、ライブやサイン会等の別会場を要するイベントも併せて行うのなら特に。地理的には浜松により近い私ですらそう思います。  

…おっと最後に。今回唯一気になるのは、トムさんが藤枝シネ・プレーゴさん売店のプレミア抹茶ドーナツを口にする機会があったかどうかですな!あれはんまい(もっと抹茶風味が強くてもいいけどナ!)。以上!






さて、ここから先は映画版「死の秘宝part1」について。

…といっても、自分はなにしろ映画版ハリポタは全部ドラコ視点で見てるので、今作を見るにあたって注目していたのはただ一点、前作「謎のプリンス」でドラコというキャラクターに与えられた映画オリジナルの解釈が今作でもきちんと引き継がれているか。それだけ。

というか、一部のレビュー記事では映画前作のドラコに関して「原作以上に深く苦悩が描かれていた」と書いてあったような気がするけど、自分としては映画版「謎のプリンス」は、むしろドラコについて原作とはまったく違う解釈をした、と思ってます。おそらく原作者のJ.K.ローリング本人はドラコというキャラクターに特に思い入れは無く、したがってドラコは最終巻に至るまで徹頭徹尾、底の浅い人物としてしか描かれていない(し、また、他により深く掘り下げなきゃいけないキャラがいるのでそこは特に問題はない)。何よりも、原作第6巻でのドラコの苦悩というのは、たとえばトイレで泣く場面にしても、あくまで「失敗したら家族が殺される」という強迫観念から生まれたものであって、決して悪に加担することに対して苦悩があったわけではない。彼が自分の任務を果たすために平気で仲間を巻き込み、キャビネット修復に成功すれば高笑いし、学校に侵入を果たした死喰い人軍団を自ら先導していたことを思い出してほしい。原作のドラコは、おそらく天文学塔でダンブルドアと対峙する時まで、父親と同じ死喰い人の道を進む自分に迷いを感じたことはなかったと思う。

こんなキャラクターに対し、孤独の中で任務を遂行していく過程で初めて任務の非道さ、非情さを実感し、良心の呵責や絶望にさいなまれ、己の中の善と悪の狭間で苦悩するという大胆な性格改変を行った映画版はまさしく大英断だったと思う。なにしろ原作にはそんなドラコの複雑な心理描写なんかどこにも書いてない。演じるトムさんも、指揮するイェーツ監督も、これは相当なプレッシャーだったのではないかと思うし、これを見事に成し遂げた成果は映画版「謎のプリンス」を見れば明らかだろう。


で、今回の映画版「死の秘宝Part1」。なにしろ原作の展開からいってドラコの出番が少ないのは分かってたので前作ほどには語ることはないのだけれど、ひとつだけ非常に重要なポイントがあるので触れておきたい。

これはトムさん本人が、第一回目の舞台挨拶インタビューで今作のドラコの見どころを訊かれて語った言葉で、
「今回ドラコは、(マルフォイ邸の)あの時、あの場所でハリーの息の根を止めるチャンスがあったのにそうしなかった。ハリーの側につくべきなのか苦悩していた。あれは、彼の小さな贖罪だったと思う」

注目すべきは、あの場面でドラコがハリーを「殺さなかった」と、ドラコの能動的な行為として語っていたこと。原作のこの場面(6巻第23章)でのドラコは、ハリーを確認すること、というより自分の意見を口にすることにすら消極的で、ただただ周りの大人におびえ、流されるだけの存在だった。ハリーを助ける結果になったのも意図しない顛末だったろう。それに対して映画では、あの場面でドラコは──おそらくハリーの正体を正しく知りながら──「分からない」と答えた、つまりあのDQN伯母とDQN親父の見ている前で自分が出来うる限りの抵抗をすることを選んだ、と解釈できる。だからこそハリーの方も、原作のようにできるだけ顔をそむけるどころか、あたかも挑戦するかのようにまっすぐにドラコを正面から見据えていたのだろう。いや、素晴らしい演出だった。

そんなわけで前作からの改変具合が見事に引き継がれていて大満足しているわけだけど、さて、まったく根拠のない願望混じりの展望を以下に語ると(以下文字反転)、映画「part1」では原作にあったダドリーらダーズリー家のハリーに対する悔悟、悔悛が描かれなかったけれど、自分は、じつはこの役割をpart2でドラコが演じるのではないかと思う。とにかく、part2に用意されているドラコ最大の見せ場である「必要の部屋」での決戦の場面、原作と同じ性格設定では辻褄が合わないし、この期に及んで原作に忠実な性格のドラコを出されては興ざめだろう。で、この「必要の部屋」の場面の撮影期間中、トムさんはTwitterで何度か「ハーネスきつい~、炎熱い~」とかなんとか特殊撮影関連の愚痴めいたつぶやきを繰り返していたけれど、ひょっとしたら、じつは特撮に限らず、ドラマの点でも大きなチャレンジがあったのではないかなあ…と勝手に推測している。無論、明かされる真実や贖罪という点では、スネイプやダンブルドアというそれこそシリーズ全般を通じて積み上げてきたテーマを回収しないといけないので、その流れを邪魔するほどのウェイトは置かれないだろうけれど、ここまで映画版ハリーポッター最終三部作(と自分はあえて呼んでいる)でイェーツ監督が心を砕いてきたドラコというキャラクターを、最後の最後にどうやって締めてくれるのか、期待せずにはいられない。


最後はすっかりオタトークになってしまってすみません。ちなみに、こないだ小耳に挟んだところでは、「死の秘宝Part1」は来年3月にはもう米国ではDVD発売と聞きましたが日本でもそのくらいでしょうかネ?それともやっぱ日本だけ遅れるの??

 
 
 
(Anonymous) on January 3rd, 2011 11:38 am (UTC)
chinami
きゃー、この記事、どういうわけか全くスルーしまくっていました(大汗)
前半の藤枝部分は「トムニュース」に掲載させて下さいまし。

そして後半の映画版ドラコの性格設定と原作との対比部分、ここもう本当に、

<フォント3倍>禿同!

っていうか、言いたかったけど言葉にならなかったことを全部文章にしてもらったって感じです。ありがとう!!
このまま心置きなく進んでくれたまえ>イェーツ!
全世界(のドラコファン)は君の味方だ!!